積まれた本

ネット小説名作レビュー

たたかうアイカツ!おじさん by 権俵権助(ごんだわら ごんすけ)

ジャンル

長さ

  • 中編
  • 59,370 文字
  • 1 時間 59 分ぐらいで読める

あらすじ

 36歳の会社員、権俵権助は少女向けカードゲーム『アイカツ!』を好きになってしまった「アイカツおじさん」だ。世間体を気にしながらゲームコーナーで『アイカツ!』をプレーし、アニメも見るしライブにも出る。『アイカツ!』は生活の一部になっていた。
 だが2016年正月のライブで『アイカツ!』の終了が告知される。権助はショックを受けるが、コンテンツが移り変わる事実を受け入れ『アイカツ!』の最後を見届ける。

レビュー(ネタばれ注意)

追記:このレビューを書いた後で作品に第三部が追加されました!

 いい歳の男でありながら少女向けのコンテンツ『アイカツ!』を好きになってしまった「アイカツおじさん」の暮らしを描いたエッセイ風の小説。様々な小ネタで読者の興味をつなぎながら、『アイカツ!』への愛を鮮やかに描写する良作だった。なお、『アイカツ!』は株式会社バンダイによって2012年から2016年まで提供された、実在のコンテンツである。
 アラクネ文庫では同著者の権俵権助さんによるSFふっかつのじゅもんが ちがいません』のレビューも掲載しているので、興味のある人はこちらもよろしく。

 さて、本作品にはいくつも見どころがある。そのうちの1つは、普通の人とは異なる趣味を持つ興味深い存在「アイカツおじさん」の生活を詳しく描写していることだ。これだけでそれなりに読む値打ちがあると言える。特に、本来少女向けの『アイカツ!』を大人目線で見ているところがおもしろい。子供向きのコンテンツの裏で、ファンあるいは製作者として静かにやり取りをする大人の世界の奥深さが垣間見える。「アイカツ!ジャパンツアー」特典抽選の「アイカツおじさん枠」を推定するところや、臼倉竜太郎氏が担当する『アイカツ!』のライブのすごさを説明するシーンなどは秀逸であり、『アイカツ!』という一芸に秀でた著者にしか書けない文章だと言える。
 『アイカツ!』あるいはそのほかの少女向けコンテンツに関する専門用語もたくさん登場し、本作の世界観の醸成に一役買っている。たとえば「先輩」「グラシアス」「大きなお友達」「節度ある位置」「トモチケをパキれる」などの言葉が出て来る。「トモチケをパキれる」……なんとも言えない語感のよさだ。(意味は分からんけど。)
 アニメ、『アイカツ!』の主人公の交代劇や、『アイカツ!』の年商の動向など、大人ならではのうんちくも1つ1つ読みがいがあった。
 また、権助がゲームセンターで出会った男の持ち物を拾った時に

「これ……”プリチケ”落ちましたよ」
「あっ、すみません。ありが……いや、”グラシアス、つまり、ありがとうございます”」

 のやり取りだけで瞬時にお互いを認め合った、同好の士のエピソードも作品のハイライトの1つだ。型を見ただけで相手の実力を知る格闘家のような、かっこいい挿話なのである。

 このネット小説のもう1つの見どころは、『アイカツ!』に対するアイカツおじさんの愛、また、消え行くコンテンツを愛惜する情緒である。主人公の権助はそれなりに責任のある業務をこなす社会人だが、アイカツが大好きだ。

『アイカツ!』は権助にとって残業の唯一のモチベーション

アニメ最終回以降のストーリーが見られるというだけで神棚に飾る価値があった。

みたいなことさえ言っている。『アイカツ!』が終わりを迎えた時には、当然深く悲しんで

『アイカツ!』の無い生活がこれほど辛いとは……。

と胸の中で言う。しかし、ベテランゲーマーでもあるらしい彼は、コンテンツの歴史は入れ替わりの歴史であることを受け入れている。切磋琢磨して新陳代謝が起こるからこそおもしろくなるのだということを理解し、納得しているのだ。別れを惜しみながらも、権助は最後までライブに感激し、アニメを楽しみ、自分の生活に喜びを与えてくれた『アイカツ!』に感謝を表している。

 この小説にはまた、胸が熱くなるエキサイティングなシーンもある。例として、大阪府南部のスーパーに『アイカツ!』のライブを見に行ったシーンの一部を引用する。

最後のステージで『スタートライン!』のイントロが流れ始めた時、アイカツおじさんたちの間からどよめきが起きた。

ステージに立っていたのは、これまでのせな・りえではなく……旧『アイカツ!』で主役・大空あかりの歌唱を担当し、今では憧れのトップアイドル・白鳥ひめを担当する、るかであったからだ。そしてそれは、アニメ『アイカツスターズ!』第一話の再現でもあった。

(この粋な演出……まさか!)

 こういうしみじみするところやドラマチックなところがあるからこそ、本作は単に興味深い以上の小説になっている。

 最後に1つ注目しておきたいことがある。それは、オタクという言葉が作中でたったの2回、権助が訪れた土地を「オタクの街」、「オタク街」と説明する時にしか使われていないことだ。必要最小限の使用である。権助はオタクだが、あえてその言葉を使っていないのだ。作品の狙いはそれを強調することにはないし、そうしたキーワードに頼るまでもなく十分におもしろいのである。では、オタクでなければどういう話なのか? 「くれぐれもフィクション」でありながら「だって、しょうがないじゃない。好きになってしまったんだもの」という小説だ。

コメントする