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金魚の棲む森 by 吉川蒼

ジャンル

長さ

  • 短編
  • 8,477 文字
  • 17 分ぐらいで読める

あらすじ

 夏休み、学生の那弥子は両親の不仲のせいで1人でおばあちゃんの家に遊びに来ていた。近所の神社のお祭りで、彼女は金魚のお面を頭にのせた自分と同じ年頃の男の子を見かける。不思議な雰囲気を持つ彼を無意識に追いかけるうちに、那弥子は人食い妖怪の住む森に迷いこみ、そこで彼と言葉を交わした。「金魚」を名乗る少年はなぜか那弥子のことを知っていた。

レビュー(ネタばれ注意)

 不思議で、しめやかで、所々おどろおどろしい雰囲気がいかす、和風のファンタジー。親の不仲を気に病む那弥子の心の動きや、彼女を慕い守ろうとする金魚の思いも加わって、いい感じのショートストーリーになっている。

 この小説の第一の見どころは幻想的な雰囲気だ。著者としてもこだわりがあるらしく、古事記(※)から2つのエピソードを引用したという。異界の食べ物を口にした者がその世界の住人になってしまうという話と、追手にものを投げて自分の身代わりにするシーンがそうだ。また、那弥子が異界から戻る際に「絶対に振り返ってはいけないよ」と言われる場面があるが、これと同じ話がギリシャ神話にある。そんなに派手な話ではないのだが、こうした神話の引用がストーリーにわずかな神秘性を付加していて、これが、わずかではあるんだけれども何とも言えないファンタジックな味わいになっている。ファンタジーを語るにはやはりファンタジーの親玉である神話を無視するわけにはいかない。(※古事記は、日本最古の歴史書で日本神話の原典の1つ。)
 その他にも、金魚のお面を頭にのっけて夏祭に現われる不思議な少年とか、見覚えのない森とか、体の一部が欠けた妖怪とか色々と幻想的な描写が出て来て、心地よい作品の雰囲気にひたることができる。

 この小説のもう1つの主題はヒューマンドラマにある。学生であるらしい那弥子は、親の仲が悪いせいで毎年夏に自分1人でおばあちゃんの家に遊びに来るという境遇にある。祭の屋台で見知らぬ女の子と両親が仲よくヘアピンを選んでいるのを見て、彼女は胸が苦しくなる。実は彼女もこの時、10年以上前、まだ家族が円満だった頃に祭で買ってもらった「ぱっちんどめ」をポケットに入れて持って来ていた。それは彼女の思い出であり、温かな家庭への未練なのだった。だが、那弥子は妖怪から逃げる時に、自分の身代わりとしてこのぱっちんどめを投げ捨ててしまう。
よかったの?
 とたずねる金魚に対し
うん。なんだか何もしないで泣いていた自分が小さく思えてきたの。今なら前を向いて、何でもできそう
 と那弥子は答える。これをきっかけに、ないものねだりの心境からふっきれて、前向きになることができたのだった。最後に現実世界に戻って来た那弥子は金魚のことも妖怪の住む森のことも忘れてしまうが、金魚のもたらした温かい気持ちだけは残っている。別世界の記憶のはかなさとハートウォーミングさを感じさせる、いい幕引きだった。
 第二の主役である金魚側のストーリーも見逃せない。彼は最後まで那弥子に正体を明かさないが、実は昔彼女の家で飼っていた金魚の死後の姿であり、両親の仲が悪いせいで子供だった那弥子が泣くのを見ていた。彼はまた、自分が死んだ時に幼かった那弥子が涙を流して悲しみ、自分の冥福を願って葬ってくれたことも知っていた。だから彼は彼女が大好きだ。いつも泣いていた彼女を自分の手で笑顔にした時、彼は満足する。そして、妖怪として長らえてきた自分の役割はもう終わったと思ったのだろう、ろくでもない存在になりかかっている自らを他の妖怪に食わせてしまう。那弥子一筋の金魚のなのだ。彼女を食い損ねた妖怪たちに向かって「那弥子はだめ。おれのだから」と彼は言っている。
 那弥子の方も、やさしくて頼りがいのある金魚を憎からず思っているらしく、あわただしい彼との別れを惜しんでいる。この小説は、愛とか恋とかいう言葉が一度も出て来ないラブストーリーなのだ。

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