積まれた本

ネット小説名作レビュー

うまれる by あおいはる

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あらすじ

 両親を失って叔母さんのアトリエで暮らすぼくは、写真とモササウルスが大好きだ。これまでぼくは4人のぼくを別にうみ出してきた。ギャンブルにはまったり、女の世話になりつつ小説を書いたり、鉄工所に勤めたり、自由なフリーター生活を送ったり、していることは様々だ。今、ぼくの一部を吸収して、新たなぼくがもう1人うまれようとしている。モササウルスや写真への熱は吸いとらないでほしい。ほんとはもう、うむのは嫌だった。

レビュー(ネタばれ注意)

 そこはかとない青春テイストの漂う、抽象的な掌編小説。本作の見所の1つは非日常的な文章の味わいだろう。自分が生み出した別の自分たちのことに思いを致すという筋書も独特だし、モササウルスを恋人にしたいとか、まじわるならかっこいいティラノサウルスがいい、みたいなやり取りもまた独特だ。他にたとえば、

ぼくは、もうひとりのぼくがうまれるまえの、どきどきと、いらいらと、もやもやと、そわそわをもてあまし、ベッドのうえでカメラをさわりながら、うみをみていた。

という部分なんかは、微妙な感情の表現や畳語を繰り返す語感などが、やはりユニークでおもしろい。よく見たらこの部分、全部かな書きだし。
 普通の人間には理解しがたい描写も含んでいるが、一言で表現すると、私はこの小説をおしゃれだと思った。上の引用に出て来る「ベッドのうえでカメラをさわりながら、うみをみていた」のフレーズにしても、何かの映画みたいでセンスがいい。うみのみえるアトリエが話の舞台になっていることや、主人公が写真を撮っていることや、恐竜やモササウルスなどの絶滅動物の名前が出て来ることも、おしゃれな雰囲気作りに一役買っている。
 主人公の青年は、小学生の時にギャンブルで破産した父が自殺し、その借金を返済するために休みなく働いた母も死んだという不幸な過去を持ち、母が大学進学資金を貯蓄してくれていたにもかかわらず大学へは進学せずに、叔母のアトリエを改築した建物に住んでいるという、現実感があるようなないような生活を送っているが、それも作品の非日常的でしゃれた味わいを損なうことはない。むしろ、彼がそういうバックグランドを持っていることが、うまい具合に小説の味付けになっていると思った。

 もう1つの見所は主人公の青年の心だ。レビューの冒頭で青春がどうこう書いた理由もそこにある。本作の内容には荒唐無稽な部分もあるが、一方で作品を貫く主題がある気もする。それは、生きる過程で得ては失う情熱や人生観だ。もっとも、この小説は型にはまった解釈をするべきではない感じもするので、あくまで私の個人的な意見と思ってほしい。
 さて、彼は両親の死などを経験しながら、これまで何人もの「別の自分」を生み出してきた。その分身たちは、彼が抱いた心情や思想を表しているらしい。
 分身第1号は、青年の忌み嫌うギャンブルにはまっている。第2号は、小説を書いてみたいという青年の願望を反映して小説家を目指している。彼は女のひもとして生活しているが、そのことに対する負い目と、早くプロの小説家にならなければという焦りを感じている。でも才能がないのか、つまらない小説しか書けない。だが、主人公は彼にあきらめろとは言わない。その理由は次のように説明されている。

 あきらめればいいのに。
 とは、いわない。その言葉をくちにした瞬間、ファインダー越しにみる、ぼくの世界が、ゆがみ、ひび割れ、崩れ落ちる気がするから、いわない。ぜったいに。

彼は小説を書く分身の気持ちが分かるので、そう思うのだろう。
 分身第3号は、鉄工所に就職したこと以外は分からず消息不明。第4号は自由奔放な人間で、大小様々な夢を持ちつつ、そこそこ地に足の着いたフリーター生活をしている。「毎日を実に楽しそうに生きている」という。
 自分の分身たちが色々な生活を送っているというのは何か愉快だし、考えようによってはファンタジックな状況だとも思うのだが、ここでおもしろいのは、彼が新しい自分を生み出すことを歓迎していないことだ。

ほんとうはもう、うむのは嫌だった。

と彼は言う。しかし、なんで嫌なのか? そのわけは次の引用部分に表されているようだ。

 さて、つぎにうまれてくるごにんめのぼくは、いったい、どんなぼくなのか。
 ぼくの、どういったところを吸収し、汲み取り、分解し、組み立て、構成されたぼく、なのか。
 モササウルスへの想いは、吸いとらないでほしいと思った。写真への熱も。カメラで表現したい、ぼくなりの芸術も、生きざまも。
 どうか、ぼく、というにんげんが、ぼく、というにんげんでなくなってしまいませんように。

多分彼は、女性(や同性)のことや自由な生き方などを含め、自分の人生について、色々なことを考え小説や写真などへの情熱も感じていた。しかし、多くは身に付かずに時間とともにどこかへ行ってしまう。そのことを寂しく思っているのかもしれない。
モササウルスへの想いは、吸いとらないでほしいと思った。写真への熱も。カメラで表現したい、ぼくなりの芸術も、生きざまも。
 という彼の気持ちが、私にはとてもよく分かる。こういうものをなくした時に人間は年をとるのではないか。

 ところで
ほんとうはもう、うむのは嫌だった。
 と言った後で彼はこう続ける。

 モササウルスがとっくのむかしに絶滅しているって現実を直視することくらい、嫌だった。
 嫌だった。

絶滅動物好きの贔屓目もあるだろうが、私はこのたとえがむちゃくちゃ好きだ。この比喩が心に刺さったから本作をレビューしたと言っても言いすぎではない。

 本作著者のあおいはるさんについては、以前『アイスキャンデーを売り歩くペンギンの団体』という小説もレビューさせていただいた。こちらもユニークな雰囲気がいかす良作。

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