積まれた本

ネット小説名作レビュー

私の白いディオニュソス by 吉岡 幸一

ジャンル

長さ

  • 掌編
  • 1,968 文字
  • 4 分ぐらいで読める

あらすじ

 来館者の少ない山の上の美術館で、私はボランティアの監視員をしている。はじめは物音もしない部屋にじっと坐っているのがつらかったが、そのうち展示室の静かな時間を愛するようになった。しかしある時、学生風の白い青年が現れて私の幸福をかき乱す。彼は何日も美術館に通って絵ではなく私のことをじろじろと見つめ、ついにはほおにふれようと手を伸ばして来た。

レビュー(ネタばれ注意)

 アーティスティックな雰囲気がすばらしい、純文学掌編。美術館の展示室にじっと坐っている女性監視員の心が、実は1人の青年の存在を中心にダイナミックに動いている様子を巧みに描いている。
 ところでアラクネ文庫では、2000文字小説の投稿&コンテストサイト「時空モノガタリ」の新着作品を毎日ひそかにチェックしていた。今回はじめてこのサイトの小説をレビューできてちょっと嬉しい。

 さて、この小説のヒロインは山の上にある美術館で週に四日ボランティアの監視員をしている。有名な作家の作品がないことと交通の便が悪いことから来館者は少なく、物音の1つもしない展示室に彼女はじっと坐っている。はじめのうちはそれが苦痛だったというが、やがて彼女はその静けさを愛するようになる。ここらへんから、彼女の心の動きを壮大かつアーティスティックに描写する本作の特色が顔を出す。少し長いが本文の一部を引用したい。

 まるで私自身が作品のようだ。まずは目を見開き展示されている作品を眺める。郷土の画家の絵が四方に飾られている。風景画、人物画、抽象画、静物画、よくわからない絵、それらを吸い込むように見つめ、徐々に私は空になっていく。すると私の中で宇宙が広がっていき無数の星が輝きはじめる。起きているのだが夢を見ているような感覚、時間が消えていき、なにか大きな存在に包まれていく。
 幸福感とでも云えばいいのだろか。この感覚を味わうために私はこの仕事を続けているのかもしれない。

 ざっくばらんに言って、ネット小説の中には何となくかっこをつけようと思って抽象的な言葉を並べる作品も多い。だが、そういう文章は読んでも説得力がない。抽象的だという点では本作も同じだが、こちらはまじめに書かれているので、文脈と合わせて何を言っているのかが分かる。どことなく宗教的な感じのする描写だが、著者のプロフィールを見ると座右の銘は「不立文字」だということで、さもありなんという感じだ。「不立文字」は言葉によらずに悟りに至ることを表す禅の用語。

 しかし、心静かに展示品を監視していたヒロインの心を大きくかき乱す事件が起こる。学生風の「白い青年」が現れ、何日も通いつめて監視員の彼女をじろじろ見て行くのだ。長い時は何十分も彼女をながめていたという。そしてとうとう、ながめるだけではもの足らなくなったらしい彼は、ヒロインのほおへふれようと手を伸ばす。
やめてください
 と彼女は青年を突っぱね、それからこんなやりとりをする。

「やはり生きているんですね。あまりに動かないものだから人形かと思って」
「嘘。人形だなんて思ったことないでしょう」
「ごめんなさい」と、白い青年は素直に頭をさげた。
「私ではなく、どうか作品を観てください」
「あのう、」
「なんでしょうか」
 冷たい私の反応に白い青年は言葉を返せなかった。
 言いたいことはなんとなくわかっていた。だがこれ以上しゃべらせるわけにはいかなかった。私は既婚者、若い男の子には興味がなかった。

もてるね、おねえさん。
 ともかく、この後の展開がおもしろい。それから青年は美術館に来なくなり、彼女は心の平安・幸福感をとり戻すかと思うのだが失敗する。

展示室の隅で心を空にしていくと白い青年の顔が思い浮かんでくるようになった。どんなに振りはらおうとしても白い青年は消えてくれない。私は恍惚の宇宙を失った。

という状況だ。その結果、彼女は監視員を始めた頃の退屈にさいなまれる心境に逆戻りする。だが、それから彼女は自分の心に白い青年をとりこんでしまう。それどころか、彼の存在をとり入れることによって一段上の状態に昇華したようでさえある。そこの所をまた引用してみる。

いつしか白い青年の顔が美化され、私は白い青年と溶け合い、混じりあい、白い青年の存在そのものが私の宇宙となった。私の聖なるロゴスは白く燃えながら回転し、私は新しい幸福感を手に入れたのだった。
 私は今日も美術館の常設展示室の隅に座っている。薄明るいライトに照らされた部屋のなかで独り白い青年の宇宙に包まれている。

 ここでも、荒唐無稽と紙一重の言葉使いのセンスがすごい。

 そしてこの小説は、ヒロインが業務を終えて事務室長とあいさつを交わすシーンで終わる。
今日も穏やかな一日でしたね
 という事務室長に対し、彼女はありきたりな返事をして茶を飲む。業務時間中のダイナミックな心の動きと、穏やかで年寄りくさいやり取りの対比が深い余韻を生む。幕引きまでエレガントな小説だった。

 なお、この小説は「起承転結」をきれいに実践した作品でもある。美術館の監視員であるヒロインが紹介されるあたりが「起」、彼女が退屈を克服して心の平安を得る所が「承」、白い青年の出現が「転」、自分の心に彼をとりこんで再び幸福感を手にれる所が「結」だ。
 私は、小説を無理矢理「起承転結」の枠組みに当てはめることには意味がないと思っているが、本作のような読みごたえのある作品がこの構造を持っているのはおもしろい。

コメントする